田辺市医師会リレー散歩 2019年10月号

 12月1日で開業4年になり、5年目に突入しました。

 毎日に仕事に振り回され、全く余裕がないまま4年が過ぎました。ブログも気が付けば3か月ほど更新していませんでした。

 あまり目新しい話題もないのですが、今年最後のブログは、先月田辺市医師会に投稿した、リレー散歩の原稿でご勘弁いただこうと思います。毎月発行される”医師会だより”に医師会員が持ち回りで投稿しています。

 

 タイトルは、『医師以外の別の職業を選ぶとしたら…』です。少し長いですが、ご容赦ください。

 

    「医師以外の別の職業を選ぶとしたら…」

 

                         ふじたクリニック

 

                                  藤田 繁雄

 

 

 小さい時からなぜか少しばかり勉強ができたことと、母が私の小学校1年生でベーチェット病を発病して、入退院を繰り返した時に見た医師がかっこいいと思ったことで、小さい頃から医者になる!と公言していました。他にもなりたい職業は中学高校と進んでいくにつれ出てきましたが、あまり小さな時から周りに言い続けると引っ込みがつかなくなります。結局、大学は医学部を選び、浪人もしましたが、公立高校から大阪大学に潜り込み、本当に医師になってしまいました。

 

 

 「医師以外に何か他になりたかった職業はありますか?」、と聞かれたら、私は迷わず、「料理人になりたかった。」と答えます。父親が厨房に入り浸って、器用になんでも作る人でしたので、“男子厨房に入るべからず。“という当時の常識は頭にありませんでした。小学校の家庭科の授業も大好きで、裁縫や料理が楽しくて、中学になって家庭科がないことが悲しかったのを憶えています。

 

 

 初めて家族にふるまった料理は、小学校の家庭科で習った“ほうれん草炒め”でした。授業のあと、自宅の台所で中華鍋を振って作らせてもらいました。母が「おいしいやんか、あんた、上手やなぁ。」と言ってくれました。子供はほめないといけません。中学生になる頃には、母の腸管ベーチェットの症状が強くなり、入退院を繰り返していましたので、母の入院中は妹と自分たちで食事を作ることが多くなりました。

 

 

 大学生になって体育会山岳部でヤクザな登山ばかりしていましたが、初めての海外旅行は23歳で訪れたタイでした。一人で3週間へき地を中心に歩き回り、いろんな変なものも食べました。中でもタイカレーには驚きました。ココナッツミルクなんて見たこともありませんでしたが、何とも言えないあの香りと甘み、「トマトを煮る?トマトはサラダで生で食べるもんだろ!」、それとあの身体を貫く強烈な辛味!!!!!当時バンコクにあった大丸でタイカレーのペーストを持って帰り、自宅でカレー作りを始めました。

 

 

 そんなある日、いつもの書店巡りをしていると、『日曜日の遊び方』というシリーズが目に飛び込んできました。タイトルは『カレー三昧』。世界各地のカレーのスパイスの組成、ルーの作り方が書かれていました。まだ昭和の頃、チリパウダーやブラックペッパーはスーパーに売っていましたが、クミンやコリアンダーなんて聞いたこともなく、周りには売っていません。阪急百貨店でようやく見つけることができました。カレー専用のミルまで買ってしまいました。玉ねぎを飴色になるまで炒めて、先に調合しておいたスパイス類をミルで粉砕して混ぜていきます。家全体がエスニック色に染まります。チキン手羽元をローストしておいてから、香味野菜、ココナッツミルク、トマトの水煮を加え、アクと取り続けてからいよいよ自家製ルーの投入です。何回も作っているうちにコツがわかってきました。母は62歳で亡くなりましたが、悪液質が進むにつれ食欲もなくなって、どんどん痩せていきました。ダメもとでいつものカレーを作ってみると、なんと笑顔でペロリと平らげてくれました。私のカレーが母の最後の晩餐になってしまいました。

 

 

  私が結婚したのは40歳の時でした。娘が3人生まれました。いつも家族には全力で接してきたつもりです。その一つの形が私の料理です。食べたらなくなってしまうものですが、家族が喜ぶ顔が見られる、料理の醍醐味と思います。家族は私のレストランの常連のお客さんです。皆のさらなる笑顔が見たいために研究を重ね、レシピを探します。うちの台所脇には5段の本棚がありますが、ほとんどすべてが今まで私が集めてきた料理関係の本です。中華の師匠はウー・ウェンさん、愛用のル・クルーゼを使った料理の師匠は堤 入美さん、牛すね肉の煮込みなど、絶望的に手間のかかる煮込み料理の師匠は谷 昇さん…。勝手に師匠とほれこんだ料理人がたくさんいます。今は、タサン志摩さんのシリーズがお気に入りです。共通していることは、どれも邪魔くさくて手間がかかるということ。最近の料理本は、“時短”や“手抜き”、“楽しておいしい”といったキーワードがついたものが目につきますが、私は嫌いです。丁寧に下処理をして、ひたすらアクを取り続けて、途方もなく煮込んで…、そんな料理が好きです。いろんな悩み事は消えて、頭の中が澄んできて、一番の気分転換です。料理の後にはご褒美が待っています、みんなの笑顔です。

 

 

 長女のお気に入りは牛もも肉で作るローストビーフ、妻と次女の一番人気は鶏もも肉のビネガー煮込みです。次女はラタトゥイユが大好きでしたが、ビネガー煮込みにその地位を奪われました。三女は蒸し鶏を冷やした“コールドチキン”。母がよく作ってくれた料理です。肉の周りにゼラチンがあふれています。私自身は茶わん蒸しやがんもどき、自家製トマトソースのパスタ、ポテトサラダなんかが気に入っています。そろそろ牛すね肉の煮込みの季節が近づいてきました。スジ肉3Kgを使うおでんを作るのも楽しみです。

 

 

医師以外の仕事を選ぶとしたら、料理の道に進んで、さっさと海外に出かけて修行して、そのまま日本に帰ってこなくてもいいし、30歳代で店を開けてもいいし…。医師より一人前になる期間が短いのが魅力ですね。食べたら泡のようになくなってしまうのも潔い。食べた人を笑顔にできる、そこは医師の仕事にも共通するところもあります。ただし、医師の仕事はいつでも必ずうまくいくわけではありませんが…。

 

 

長女は中学3年生になりました。あと何年私の料理を食べてくれるのでしょうか。娘たちがいなくなったら、ル・クルーゼいっぱいの煮込みを作ることもなくなるのでしょうか。そんなことを考えると、今から少し寂しくなります。それでも、もっと他に、もっと気が遠くなるような手間のかかる料理はないか、本屋に行っては料理本コーナーをのぞいて、新しいレシピを探し続けることになりそうです。なによりの私のリフレッシュ方法ですし、これからも家族が喜ぶ顔が見たいですから。

 

 

 

 

 

 

座右の銘:特にありませんが、社会人になってスキーやダイビングをして遊ぶ上で自分に決めたルールがあります。

 

 “しんどい”・“邪魔くさい”・“忙しい”と言わないこと。